原爆の日
毎年、8月6日に思い出すこと。
それは、確か2003年の今日、
広島でアランフェスを弾いた時のこと。
前日の夜、
ドームの前にたくさんの人々が集って、
歌を歌ったり、平和を訴えていたりしてました。
もちろん、それらの人々の大部分は、
戦争を知らない人たち。
僕の友人が、
ドームの前に流れる川の土手に、
特設された舞台で、朗読の伴奏をしていて、
それを見に行ったのでした。
そしてら、夜、10時くらいだったか、
僕の前に、長い髪の色白の、
老いた女性が現れて、
折りたたみの椅子を広げて、
ドームのほうに向かって木陰に腰を下ろしました。
彼女の見ていた方向には、
ドームとそれを照らし出すライトの明かりがあったけれども、
彼女の瞳の中をうかがい覗くと、
たくさんの、無数の光の玉が映し出されていると思えるくらい、
漆黒の瞳の奥にすごく深い奥行きがあったのが
強烈な印象を残しました。
彼女が見送ってきたたくさんの命が、
まるで彼女の瞳の中にうごめいていて、
それらの光とともに、彼女は、
前夜のドームを目に焼き付けている、
もしかしたらそれは、光たちにとっての、
最後の幸福の記憶だったのかもしれないから。
彼女の瞳の中の光が、
いつか彼女の命が尽きて、
解き放たれたとき、
僕たちが、僕たちの瞳の中に
その光の記憶を宿せるように。
そんな願いを、
今日は必ず想い起こすことにしています。
それは、確か2003年の今日、
広島でアランフェスを弾いた時のこと。
前日の夜、
ドームの前にたくさんの人々が集って、
歌を歌ったり、平和を訴えていたりしてました。
もちろん、それらの人々の大部分は、
戦争を知らない人たち。
僕の友人が、
ドームの前に流れる川の土手に、
特設された舞台で、朗読の伴奏をしていて、
それを見に行ったのでした。
そしてら、夜、10時くらいだったか、
僕の前に、長い髪の色白の、
老いた女性が現れて、
折りたたみの椅子を広げて、
ドームのほうに向かって木陰に腰を下ろしました。
彼女の見ていた方向には、
ドームとそれを照らし出すライトの明かりがあったけれども、
彼女の瞳の中をうかがい覗くと、
たくさんの、無数の光の玉が映し出されていると思えるくらい、
漆黒の瞳の奥にすごく深い奥行きがあったのが
強烈な印象を残しました。
彼女が見送ってきたたくさんの命が、
まるで彼女の瞳の中にうごめいていて、
それらの光とともに、彼女は、
前夜のドームを目に焼き付けている、
もしかしたらそれは、光たちにとっての、
最後の幸福の記憶だったのかもしれないから。
彼女の瞳の中の光が、
いつか彼女の命が尽きて、
解き放たれたとき、
僕たちが、僕たちの瞳の中に
その光の記憶を宿せるように。
そんな願いを、
今日は必ず想い起こすことにしています。
この記事へのコメント
たとえ消え入りそうなものであっても、
そういう体験は、日常ふとしたところに、
あるものです。