ギタリストとしてのパガニーニ

3月6日のパガニーニ公演のための準備として、
今まで曖昧だった部分もしっかり勉強しようと思いまして、
前後のヨーロッパ史やパガニーニの生涯とその頃の音楽史など、
なるべくたくさんの情報に触れるようにしているのですが、

やはり謎に満ちた生涯な部分も多い人物で、
多様な描写や物語があることに気づき始めましたので、
自分なりにその中間というか、
Aのものに書いてある情報とBのものに書いてある情報、
いろいろ合わせて、まあ、こう思います、
みたいなところを書いて行こうと思います。

例えば、ギターに関してですが、
これは後述するように1799年から1805年まで
パガニーニが表舞台から姿を消していた時代に
トスカーナの未亡人のシャトーで暮らしていて、
その未亡人がギター好きだったので
習得することになった、
と書いてある資料があるかと思えば、
今日ご紹介するように、
非常にギター寄りな、
パガニーニのもう一つの愛する楽器としてのギター、
というレポートもあるわけです。

僕は実は事の真相はどちらでも構わないのですが、

パガニーニのお父さんがマンドリンが弾けて、
パガニーニも最初はマンドリンを手にした、というのは事実なようで、
そうだとすると、18世紀末のヨーロッパで
マンドリンを弾けたお父さんがギターについてはまったくの素人だった、
という仮定は演奏家の観点からは少し考えにくいです。

もう一つ、
仮にトスカーナの未亡人に影響されてギターに熱中したのだとしても、
その前からヴァイオリンは天才的に弾けていたわけなので、
まったくの初心者からギターを初めても数週間後、
へたしたら数日後にはその奥さんの腕前を超えていたでしょう。

僕は以前、と言ってももう25年くらい前ですが、
東京音大のヴァイオリン科を卒業した生徒さんを二人教えたことがありますが、
その方達もあっという間にギターの中級くらいまでのことは
できるようになりました。
なので、パガニーニをや。

今日ご紹介する、
考察していく文章は、
1958年にツインマーマン社から出版された
「6つのヴァイオリンとギターのためのソナタ Op.3」
の序文として、
編曲家、研究者として多くの業績を残した
Erwin Schwarz-Raiflingen (1891-1964)が書いたものです。

全体のタイトルは「ギタリストとしてのパガニーニPaganini als Gitarrist」

この題名は僕にはちょっと不穏な感じを呼び起こします。

というのは
リヒャルト・シュミットという人が1918年に書いた論文
「ギタリストとしてのシューベルトSchubert als Gitarrist」
を思い出させるからです。

ちなみにこのシュミットの論文は
僕はその全容を知りませんが
かの、シューベルトの作品に分類番号をつけた
ヘルムート・ドイチュから
「シューベルトにギターはないSchubert ohne Gitarre」
という論文まで書かれて激しく否定されることになるのです。

確かにその抄訳を英語で読んだ限りでは、
少しシュミット氏の言い分はギター愛に偏りすぎている感じがあります。

話はさておき、
そのような経緯を知っていてあえて乗っかったのかどうか、
このシュヴァルツ=ライフリンゲンさんの「ギタリストとしてのパガニーニ」も
かなりギター寄りな愛情による熱い文章となっております。

最初に言ってしまうと
文章内で挙げられている事例の論拠となる
一次資料がわかりませんので、
彼が何の研究の成果をもとにそう言い切れるのか、が
わからない部分も少しあります。

ですからここでは、
確かにそれについては考察の余地があるよね、
という部分についてだけお話しします。
以下、<>内は引用部分です。

はじめにシュヴァルツ=ライフリンゲン氏は
パガニーニの神秘的なヴァイオリンの魅力、
当時の人々にとっての衝撃を語った後、
パガニーニの死後にケルンの音楽史博物館によって引き取られることになった
遺産に含まれていた作品の内容をレポートしています。


<そこには15の刊行されたヴァイオリン作品、33の印刷されていないものと一曲のヴィオラ・ソナタがあり、それらの多くはギター伴奏を伴っていた。ギターのためには、140の小さな小品、28のヴァイオリンとのデュオ、4曲のギター入りのトリオ、そして15曲のヴァイオリン、ヴィオラ、チェロとギターのためのカルテットがあった。このようにパガニーニはギターのためとギターを伴った楽曲を、独奏ヴァイオリンやヴァイオリンコンチェルトよりも遥かに多く作曲していたのだった。ギターはパガニーニにとって時折傍らにあった楽器ではなく、最も愛したヴァイオリンに次いで、少年時代からその死に至るまで取り組んだ音楽のツールであった。>

パガニーニの遺品の中には、お父さんが持っていた
テルツ・ギター
(普通のギターと同じ形をした少し小さめで調弦が高いギター)
も含まれていたそうで、
ベルリオーズが獲得して
パリの博物館に寄贈した
ミルクールの製作家ジャン・ニコラス・グロベール製作のギターについても
触れています。
これですね

https://collectionsdumusee.philharmoniedeparis.fr/0465694-portrait-jean-nicolas-grobert.aspx

さてそれに続いて核心部分です。



<パガニーニはすでに子供の頃ギターの演奏を学んでいた。後に主としてヴァイオリンに専念し、1798年に故郷を離れて間もなく、ヴィルトゥオーゾとしてのセンセーションを巻き起こした。しかしながらその成功の最中に、このエキセントリックなアーティストは突然その経歴を中断してしまう。彼はヴァイオリンに飽き足らず、1799年の11月の終わりから5年もの間、ギターへの情熱に身を捧げた。この時期に、彼はトスカーナで友好関係にあった、やはりギターを弾いていた夫人のもと主に住んでいた。1805年の初めになると、パガニーニは再びヴァイオリンの研究に取り組み始め、その後間もなく楽旅を始めると、彼は自身の芸術を成熟させてゆき、世界中で知られるようになった。しかし、ギターは休みなく寄り添っていた。それは彼が友人たちに対して述べたように、彼にとっていわば“思考の梯子”であり、着想が湧くとギターで試してみた後に初めて書き下ろすのであった。>

この部分、子供の頃からギターを弾いていたのが
どの資料によるものなのかわかりません。
僕が読んだ伝記のいくつかには、
マンドリンの後直ちにヴァイオリンの話になってしまうので、
ギターへの記述は1799年まで出てきません。

ただし、先ほどの
ミルクールのギターについて述べた他のサイトに、
パガニーニが述べた言葉として、
「ヴァイオリンは僕の女主人で、ギターは先生だ」
と話した、っていうのがあるんですけど、
それも出典がわかりません。。。。

このページ
https://www.stringsbymail.com/articles/niccolo-paganini-1782-1840-the-guitar-behind-the-violin/


<パガニーニの野心と疑い深さは周知のことだった。(中略) 誰も彼の作曲を見せてもらったことがなく、誰も彼の楽器に触ったことがなかった。彼は一人で練習するときはとても小さな音で、左手のためにはギターを通して習熟した“タッピング練習”を用いた。彼のわずかな友達たちは、彼の風変わりで卓越したギター演奏について繰り返し報告している。大衆にとっては彼はヴァイオリニストとしてだけ有名だった。(中略) 彼自身の友達といる時には、彼は自作のデュエットを友達にヴァイオリンを残して演奏したし、あるいは21のカルテットではヴァイオリンを弾き、ギターを膝にのせたままで全てのソロの箇所でそれを手に取り、自分で演奏したのだった。>

ちょっと
最後の1文が翻訳力不足で自信がありませんが、
(しかも原文の「21 Quartetten」て何!?!そんなにあったの!?!?)
とにかく、シュヴァルツ=ライフリンゲンさん曰く、

親しい友達といるときはギター弾いてたんだぜ

って事のようです。

確かにパガニーニ作の複数の弦楽器との室内楽では、
美しく効果的、そして“ちょいむず”というか安心はできない
ギターソロが随所に現れ、とても弾き甲斐があるのです。

さて、最後はギタリストとの交流について。


<1834年にパガニーニは卓抜なイタリア人ヴィルトゥオーゾ・ギタリストであり、12歳の時にパガニーニの演奏の印象がきっかけでヴァイオリンを習得し、しかし8年後に完全にギターに転じたザニ・デ・フェランティと知り合った。晩年にパガニーニは有名なコンサート・ギタリストであったルイジ・レニアーニと親しくなり、記念すべきこの友情はトリノにあるコリニャーノ劇場における1837年6月9日の共同コンサートに結実した。ギターでの作曲とヴァイオリン作品とのさらに厳密な比較から認識できることは、双方の演奏技術が互いに依存しあっているということである。パガニーニのヴァイオリンのテクニックはギタリスティックな影響を受けており、ギターのテクニックはヴァイオリニスト色に彩られている。ギター特有な言い回しが、ヴァイオリンによって現される。>

例えばギターは♭系の調が苦手で、♯系の調性の曲が多いのですが、
他にもスコルダトゥーラやハーモニクスの重音、
それからパガニーニがよくしていたと言われる
「Klopfübungen」=タッピングエクササイズ (!?!?!)
などはもとより、たくさんギターから取り入れたものがあるのだ、
とシュヴァルツ=ライフリンゲンさんは言っています。

この「Klopfübungen」=タッピングエクササイズ
はきっと、
ヴァイオリンの音を左手だけで叩いて出して音程や左手の動きを
確かめるもののことを言っているのでしょう。
実際に現代でどの程度そういうことをされるのか僕は知りませんが、
弾きはじめの時に確認も含めてポンっとヴァイオリンの弦を叩き押さえる奏者はいますよね。
あれの全部なやつ...でしょうか。。。

カプリスなどでよく使われる、
左手で弾いて音を出す奏法、
ヴァイオリンにおいてあの奏法がいつからあるのか
わからないのですが、
確かに、ギターが弾けてヴァイオリンが弾けたら
ああいうことしよう、という発想にはなりやすいですね。

それと、シュヴァルツ=ライフリンゲンさんは触れていませんが、
三度重音は、
パガニーニではヴァイオリン、ギター双方の曲に多用されています。


<パガニーニは器楽における天才であった。彼が傍らにあった楽器のために書いたものはなんであれ全て、技術的な面でやりがいに満ちており、その楽器固有の響きから(それは今日頻繁に見られる“迎合する”のではない意味で)発明された。音楽史における稀な事例として、一人の演奏家が2つの楽器を等しく、尋常ではない卓越さに熟達していたのだ。しかも二つの楽器の技術は区別されながらも混合され、双方が個別の特徴をそのままに保ち互いを促進するような幸福な婚姻関係にあるのだ。>


ところでこのOp.3の巻頭言の締めは、
Op.2の同じく「6つのソナタ」とOp.3ひとまとめにして
校訂した主旨が書かれておりますが、
このどちらも、

<手稿譜が見つからなかったために、この出版では1世紀前に絶版となった1821年刊行の作品集に基づいている。>

のだそうで、
確かに存命中ほとんどの楽譜を公にしなかったパガニーニも、
この初期のヴァイオリンとギターのためのソナタは出版していたわけなのです。
そして、後日また書きますが、
現在出版されているOp.2の巻頭言には、
校訂者のクルト・シューマッハ氏によって
「Op.2とOp.3は1805~1809年の“ルッカ時代”に書かれたもの」
だと書いてあります。

トスカーナのシャトーを後にして、
ギターへの熱中から再びヴァイオリンを手にしたパガニーニが活躍したのは
ナポレオンの妹エリザが支配していたルッカの王宮でした。

この時代、
エリザ妃のために
一本の弦だけで演奏した
いわゆる“ナポレオン・ソナタ”の逸話ばかりが有名ですが、
つまりその間も
パガニーニはギターを伴って旅をし、
折にふれギター伴奏のソナタを量産していたのです。

ちなみに、
パガニーニはピアノを弾かなかった、
と言いきっている文章も目にしたことがあるので、
見つけてご報告しようと思います。


いずれにしても、
パガニーニの生涯や人柄の全体に光を当てようとするときの
アティテュードとしては、

ギタリスト目線においては

ヴァイオリンのためのコンチェルトやカプリスなどの独創性や革新性と
ギター作品の穏やかさ、平易さ、優しさとの比較をすることなしに
パガニーニにとってのギターの重要性を説きすぎる。

クラシックの学術的な界隈においては、

楽譜の内容やギターの奏法の検証が欠けているために
そこを無視して論じようとしすぎる。

傾向があるように思います。

どちらの資料や意見からも学ぶところが多いのですから、
ここは互いを無視するのではなく統合されてゆくべきだ、
と考える僕は平和すぎるのでしょうか....


コンサートのお知らせ
パガニーニ20220306.jpgパガニーニ20220306.pdf
パガニーニ20220306裏.jpg



さて、このシュヴァルツ=ライフリンゲン先生ですが、
バッハ、ハイドン、モーツァルト、シューマン、グリーグなど、
有名な作曲家の易しいアレンジ集でよく見かけます。
うちにもモーツァルトのやつがありました。

IMG_8396.jpgIMG_8397.jpg

"ギタリストとしてのパガニーニ" へのコメントを書く

お名前
ホームページアドレス
コメント

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。