弾きこなせるかどうかわからないけど8弦ギターが欲しくなった訳

今日受け取り予定なので、
実際に手にしてみたら
こりゃあ全然使いこなせないぞ、
ということになるやもしれず、

挫けそうになったときに
自分で見返して
ああ、そうだった、
と、やっぱりやる気になるための
独り言です。


理由その1
曲の構造的な転調

ギターの曲っていうのは、
転調に非常に弱いのです。

というのも、
和声の規則の基本中の基本、
ドミナントとトニック
つまり属和音が主和音に解決する時の
高揚感、安心感、ありがたみ、
というのは、
ひとえにベースの進行によって支えられており、
そのためには理想的には
ドミナントの方のベースが低く、
4度上がって解決するとかっこいい訳なのです。

ということは、
ギターでいうと、

イ長調 E→A
ニ長調 A→D
ハ長調 G→C

などが気持ち良いのです。

そして、例えば古典からロマン派の曲などで、
本来の調性から一回旅に出て、
転調した関係調の中を彷徨ったりするときには、
上記の調が組み合わせて使える
ニ長調などが最強で、
ソルのグラン・ソロなんかがそうな訳です。

あとは、
変則パターンとして
ドミナントの方がトニックより狭い音域に詰め込まれてしまう
ホ長調 B→E
があります。

ただこちらも、転調する、ということでは
イ長調と組み合わせやすいのでよく使われます。
ウィーン古典派、とりわけジュリアーニなんかは
7割かたイ長調ではないかと思えるほどです。

で、この転調、という問題において、
やはりどうしても
低音の‘低さ’が足りないと感じてしまう時があるのですね。

もう1音、自由に使える
つまり開放弦で取れるベースの音があったら、
飛躍的に音楽がカラフルになるだろうな、
という瞬間がギター曲にはままある訳なのです。

ナポレオン・コストは7弦ギターを使っていましたので、
コストの練習曲なんかでは、
平気でベースの開放弦がEだったりDだったりするのですが、
これをオクターブ上げて弾くのとそのまま弾くのでは、
音が同じなのに何かが全く違う世界となるのです。

こちらがその演奏例。



僕は近年
ラモーの音楽がとても好きになりましたが、
こと低音に関しては、
ラモーさんが提唱した
大雑把に言ってしまうと
“オクターヴ違いの2音は同じ音の機能”
というのには賛同しかねてしまう自分がいるのです。

もっとも、オクターブ違いを同じ扱いにしてしまったら
ラモーさんの管弦楽みたいな曲もほとんど
輝きを失ってしまうはずですが....



理由その2
あと1音か2音足りない問題

バロックを編曲しているときによく直面する問題。

バロックは通奏低音と言って、
バスのラインがとても重要な役割をします。

独奏曲だけでなく、
管楽器と一緒の時や
先日、藤木大地くんのバッハの伴奏をした時のように、
通奏低音を受け持つときは、
なるべく通奏低音のベース・ラインは
オクターブ上げ下げの操作をせずに
そのまま弾きたい訳です。

ところが、
編曲をしていると
あと1音か2音、
音程にして3度たらずの音が下にないために
そのベースラインを前後から丸々
オクターブ上げる、
ということをよくするのです。

これがストレス。。。

本当に経験を積めば詰むほど、
あとちょっとなのに〜〜ということが多すぎます。

ま、単純に考えると、
チェロの最低音がギターの最低音より長3度下なわけで、
そこまで音があるだけでも
便宜上全然違います。

だいたいの通奏低音は
チェロ用になっていますから。


理由その3
曲の途中で調弦したくない問題
&
テデスコ問題

これは本当にそうなのですが、
例えばフェデリコ・モレノ=トローバのソナチネ
2楽章だけD調弦になるのですが、
あれがストレス。
トゥリーナのソナタは調弦変わるけど
無理やり弾き通せるのですが、
トローバは無理。

それからカステルヌオーヴォ=テデスコの一部の曲、
途中で調弦忘れちゃったんだろうか、
という感じで
保続音がEになったりDになったりするケースがあったような記憶が。
そういうのも弦が増えれば一気に解決できます。




というわけで、
果たしてこの机上の空論が、
実際に8弦ギターを手にしたときには
どうなっているのでしょう????

お手上げ・・・・・

になりませんように!!
























この記事へのコメント