ギタリスト 鈴木大介のブログ

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<<   作成日時 : 2018/11/28 16:23   >>

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大学生の頃、僕は少し進路に迷っていた時期があります。
高校時代から、その当時の同世代のギタリスト志望の人たちよりも早く、ソルフェージュや和声の勉強をすることができたり、福田進一先生にコンスタントにレッスンを受けることができたりしたために、有り体に言うと天狗になっていた、のだと思います。そのプライドの高さが立ち居振る舞いに現れていたのでしょうか、最初は連戦連勝だった国内のギターコンクールも、気が付いてみれば2次予選落ちの常連となっていました。


福田先生から、「作曲を真剣に勉強した方がいいんじゃない?」と提案されもしていたその頃、行きつけの楽器屋さんの店員S氏に「うちの姉きがやっているブティックでお客さん向けのちょっとしたパーティーがあるんだけど、大ちゃんそこでBGM弾いてくれないかな」と頼まれて、吉祥寺の井之頭公園のすぐそばにあった、和服をリメイクしてドレスにしたものを販売しているブティックに2日間ギターを弾きに行きました。まだ19歳になるかならないかの時期です。


お店には様々な紳士淑女が入れ替わり立ち替わり訪れ、服を見たり、店主だったそのSさんのお姉さんKさんとひとしきり楽しそうに話して帰って行きました。僕はその間、ずっと知っているポップスを弾いたり、クラシックの小品を弾いたりしていました。18歳の夏休みに、横浜の山下公園を望むホテルのラウンジでギターを弾いていたので、BGMの仕事には慣れていました。心地よく、でも適度に注目を引かないような差し障りのない演奏、と言うのは、あまり好きではありませんでしたが、自分の演奏がお金になっていると言うことのありがたみの方が優先順位は上でした。


ところが、そのブティックに訪れる人の大半は、少なからず音楽に幅広い知識があり、あるいは洗練された趣味を持っている人たちでした。音楽には一般的な知識しか持たない人たちの前でしかギターを弾いたことがなかった僕は、急に大人の社会に放り込まれてしまって、ドギマギしていたのですが、店主Kさんの後ろで目を潤ませながらにこにこして聴いてくださっていたおばあさんが喜んでくださるのが嬉しくて、夢中で弾いていました。


話を聞くと、どうもKさんの亡くなられた旦那さまは、とても有名なミュージシャンだったので、今でも彼女の周りには音楽業界や芸能界を知り尽くした重鎮がたくさんいて、このパーティにはそのような人たちも顔を出しているのだと言うこと、彼はとても若くして自動車事故で亡くなってしまったのだ、と言うこと、それからお店の奥でそっと耳を傾けてくれている優しいおばあさんは、その旦那さんのお母様なのだ、と言うことでした。


2日目の午後、少し人の足が途切れた時に、おばあさんがしみじみと息子さんのことを語り始めました。「私の息子もあなたのようにずっと音楽ばかりやっていたのよ。本当に好きで、いくら音楽をやっても疲れたなんて言わないの、あなただってそうよね。あなたを見ていると昔の息子のこと思い出してしまうわ」と色々な思い出を語りながら、目をうるうるさせてそれでも顔を笑顔でほころばせながら話してくれました。


そのパーティーの後も、僕はつまづくことがあったり、悩むことがあると、吉祥寺のそのお店に行ってKさんに話を聞いてもらったものです。時には、俳優志望で芽の出ない友人まで相談してもらいに連れて行きました。Kさんは当時FM番組の制作会社のようなこともしていて、ブティックを畳んだ後は小さなオフィスを御茶ノ水に構えることになり、今度は御茶ノ水に足しげく通ったものでした。


大学を出て、ギタリストとしてやっていくことが決まって、コンクールに出て賞をもらったり、フリーランスで活動していた時期が1年半ほどあったのですが、その間Kさんはステージ・ママのように僕の保護者になってくださいました。その間も、亡くなられた旦那さまとの素敵なエピソードをしばしば聞かせていただきました。


僕が留学していた間に、Kさんの弟さんSさんが勤めていた楽器店がなくなってしまったのでSさんは独立することとなり、僕が帰国した時にはなんとKさんの会社は楽器屋さんになってしまっていました。それが今、御茶ノ水にあるメディア・カームと言うお店です。


留学から帰って、武満さんのありがたいひと言で多くのつながり、多くの可能性が一気呵成に開けました。


2000年だったでしょうか、最初のアランフェスのツアーで3日間連続でお世話になった指揮のT先生は、Kさんのご主人と昔からのお友達で、一緒にお仕事をされたこともあり、その当時でもご命日にお花を贈られていました。武満さんのお仕事で何度もご一緒させていただいた歌手の小室等さんは、六文銭時代からKさんのご主人とご一緒されていました。一度サックスの須川展也さんのお仕事で豪華客船に乗せてもらったことがあるのですが、その時ご一緒させていただいた有名なドラマーさんに僕とKさんのお話を何の気なしにしたところ、とても感慨深そうに、「あのね、僕はジャックスっていうバンドの2代目ドラマーなんだけど、僕のことを『君にだったら任せられるから』と言ってスカウトに来たのが初代ドラマーだった彼なんだよ」とおっしゃっていました。このようなお話は枚挙にいとまがないので、思い出すたびにここに追記してゆきたいほどです。きっとまだ何か忘れてますから。


2000年代のはじめに、CD会社を移籍したかった僕を拾ってくれたのは今でもアルバムを出しているベルウッド・レコードなのですが、このレーベルはその昔フォーク・ロックの気鋭のレーベルとしてキング・レコード内に立ち上がったもので、その最初のリリースの「出発の歌」のプロデューサーもKさんの旦那さんでした。僕がベルウッドで仕事をし始めてからしばらくした頃、かつてのベルウッド商品だった六文銭と小室等さんの音源がCD化されてBOXセットになりました。それを当時のプロデューサーさんのJさんが、「鈴木さんね、これ聞いてみませんか? 今売れてるんですよ〜」とくださったので、パーソネル見たら、もうこの辺でお名前で書きますが、Kさんのご主人の木田高介さんだらけでしたので、Kさん(ちなみに“木田さん”ではありません、芸名なので。)にお渡ししました。そしたらKさん、「あなたからこれもらう日が来るなんてねぇ〜〜」と不思議そうにされていました。
僕も不思議です。


要は木田さんがそれだけ天才的で、どこの世界にも幅広く影響と人脈をお持ちだったので、僕がどこへ行ってもかならず木田さんの名前が出てきてしまう、ということだと思いますが、それにしても僕はいつも彼の姿を身近に感じていたので、Kさんがご遺品を整理されるときに、貴重な手稿譜の一部をお預かりさせていただきました。


この「DOG’S MAP&CAT’S MAP」というアルバムのプロデユーサーだった著名なOさんも、最初の方でお話ししたパーティーにいらしていました。Oさんとは、およそ20年弱の月日ののち、ありがたいことに僕も数度お仕事をご一緒させていただき、また鬼怒無月さんとデュオで演奏する企画のお話しもいただきました。


今回の復刻で、僕も初めてこのアルバムを聴くことができたのですが、この機会に、色々な思い出をこうしてお話しして、さらに次の旅へと進もう、と思いついたわけなのです。



























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内 容 ニックネーム/日時
久しぶりにのぞいてみたら、すごい話ですね。
ここ数年『出発の歌(上條恒彦+六文銭)』『私の子供たちへ(高石ともやとザ・ナターシャー・セブン)』『恋人よ(五輪真弓)』『アジアの片隅で(吉田拓郎)』などを仕事の合間に聴いていたのですが、木田さんはそれら全てとゆかりのある方ですね。

今回の文を拝読するにつけ、(武満さんといい、木田さんといい)亡くなられた方と出逢い、対話し、その方々の後押しで高く飛翔され続けてある鈴木さんの神秘を感じずにはいられません。
縁って本当に不思議ですね、、、。
お釣りのもらえない男
2018/12/26 00:28

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