広島のカンテ・フラメンコ


毎年、この日が来ると思い出す歌声があります。

僕は2000年代の前半から中盤にかけて、
わりとちょくちょく広島に公演に出かけていました。

もちろん、最近でも年に1度くらいは
訪れていますが、
その当時は、演奏会だったり、コンチェルトだったり、
室内楽だったり、マスタークラスだったり、
案外いろいろ多様な用事で広島に出かけていたのです。

その当時、
広島の友人のギタリストの徳武さんが連れて行ってくれるお店の中に、
地元のフラメンコを踊る女性たちが夜な夜な集まっていた
スペイン料理屋さんがあって、
(たしか、目黒にある名店と同じ名前だった・・・)
そこのご主人もお客さんと一緒にお酒飲みながら、
毎晩わいわいやっている、気さくなおじさんでした。

常連クラスのお客さんは、
もう、ほとんど自分のキッチンのように
自由に(笑)飲んでいた。
ご主人も、
おい、あれ持って来て飲みなよ、
くらいな感じで
何度か行くまでそのあまりの馴染みさ加減に
独り取り残されて
僕は気後れするほどでした。

だんだん、行き慣れて来て、
僕は独りでも、あるいは他の演奏の仲間がいても
そこを訪れるようになり、
ある夏、
あれが8月6日にアランフェス弾いた後だったかどうかは忘れちゃったけど、
そのご主人が突然
日本語のカンテ・フラメンコで
彼自身の被爆者としての想いを
歌い上げてくれたのです。

僕は門外漢ながらも、
なんとなく、それまでスペインで観光がてら見に行ったのとは
違った意味で、
カンテの奥深さや、根深さや、
ほんとうにそうかわかりませんが、
神髄のようなものに触れることができたような気持ちで、
震える肌を抑えこむように耳を尖らせ、
研ぎすませて聴き入りました。


























この記事へのコメント

この記事へのトラックバック