骨のある、ということ。

黒田恭一先生がなくなってしまいました。

雑誌の対談で、
2度ほどお目にかかったことがあり、
その2度目の時、
僕が当時、かなりハード・コアなプログラムで、
3ヶ月ごとにリサイタルしていた、会場のホールについて、

「演奏者が一生懸命演奏しているのに、
寝ていても良いですよ、というスタンスが理解できないから、
まだ行ったことがないんだ」

と、おっしゃっていたそのホールに、

「でも、こんなに厚い内容のプログラムを
(しかも集客はまったく期待できなかったのです)
2年もかけてじっくり鈴木くんに弾かせるなんて、
素晴らしいですね。
じゃ、今度、初めて行ってみようかな?」

と言われて、いらしてくださいました。

「モーツァルト・ヴァリエーションズ」のライナーにも、
すごく良い言葉をくださった黒田先生ですが、
あの時聴いていただいた、バッハの「シャコンヌ」や、
ベリオの「セクェンツァ」が、
僕の、彼にお届けできた最後の音楽になってしまうなんて。


僕が知っている、黒田先生たちの世代には、
団塊の世代、バブルの世代、の人たちにはない、
しなやかさと厳しさがあるんです。

それが、若くて世間知らずで、
でも、世の中の方向に
右に倣えができなかった僕には、
ものすごく、ノーブルで、大人で、
ある意味ではドライだけど、
同時にクリエイティブなモラルに見えました。


最近、そのような世代の先輩たちと、
あらためて仕事をする機会が増え、
僕は、彼らが持っていた誠実さと厳しさ、
そしてそれらが生み出す愛情を、
世代をスキップして受け継ぎ、
若い世代の人たちに伝えていくことが
ものすごく大切なことのように
思えて来ました。

生意気、を恐れず、
しかし謙虚に、
ただし、
ぬるま湯ムードは徹底して拒絶できる表現者。

黒田先生は、
つねに、愛情と、そのような厳格さを
併せもって体現しておられる方でした。

ご冥福をお祈りいたします。







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