6月10日

僕にとっての父は、母が離婚して離れて暮らしていたこともあって
いろいろな思いが複雑に絡み合った対象なのですが、
6月10日というのは、その父の命日です。

昨年は三鷹のオーケストラとアランフェスの演奏会があって、
6月10日はそのリハーサルに行った記憶があるのですが、
今年の6月10日も、アランフェスのリハーサルになりそうです。

僕がロドリーゴという作曲家にもっている、
わずかながら屈折した主観はここではさておき、
どうやらやはり、このアランフェスという曲は、
人の運命をつかさどる鍵の象徴としてあらわれることが多い、
そういう星のもとに生まれた曲のようです。

今日、強く思った、あるいは確信をもって気付いたことがあります。

人は、ただ自分を日々研ぎすませてさえいれば、
あるいはその人に必要なものがすべて手に入るようにできているのではないか、
ということです。

ところが僕は、(たぶん、ほとんどの人がそうだと思うんだけど)
自分が本来必要としていないものに欲が出たり、
じっと今に集中していればやがて手に入るだろうものを、
少しでも早くと無理矢理手元に引き寄せたりしようとします。
つまり、運命を自分の都合の良いようにコントロールしようとするんです。
そのことによって、
たとえその人が自力で何かを勝ち得たとしても、
同時に多くの手に入ったはずの幸福を逃しているのではないのでしょうか。

一方、こういうことも考えられます。
仮に、一人一人について、手に入るもの、与えられる幸福が
運命によって定まっているのであれば、
その人は、何のためによりよい生活を目指して努力しているのか、と。
もし僕が思うように、何も奪わないことで本来手に入るすべてのものを手に入れる、
逆にそのことに働きかけることが、失うことへとつながるのであれば、
日々の生活はまさに減点法の管理野球のごときもの、ではないのか、と。

僕は今までの生活のなかで、
ほんとうに強引に、何もかもを手に入れようとしてきて、
多くのことについては失敗をしてきたように思います。
昨年、そのことに気付いて、
恐れや、欲望や、焦りによって、
自分が本来与えられるはずのものを失わないことができるようになったと思います。
そしてそうなってみるとそれ以上に、
その本来持って生まれてきたギフトを何倍にも増やすことのできる瞬間が、
時折チャンスとして与えられているし、
それをものにすることを、人は奇跡と呼んでいるのだと思えるようになりました。

98年の6月10日に父が亡くなって、6月12日、
僕は昨年6月11日にアランフェスを弾いた三鷹の風のホールで
リサイタルをしなくてはなりませんでした。
父が最後に買った、そして来ることができなかった最初の僕の演奏会の切符は、
98年の8月2日、サントリーホールでの、
僕がアランフェスを弾くコンサートでした。




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この記事へのコメント

感慨深いアランフェス・・・?
2006年03月09日 23:08
私はその98年8月2日のアランフェスで初めて生のクラシックギターを、だからもちろん初めての大介さんの演奏を聴いてそれからはギターギターの毎日になりました。私にとっても人生を変えたアランフェスだったかもしれません・・・
Yuko
2006年03月10日 17:19
必要なものは全て与えられる、ですね、不思議と。自分の努力とは関係なく、出会いや人の親切など、いろいろありますね。

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