ギタリスト 鈴木大介のブログ

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zoom RSS プログラムを考えるのは

<<   作成日時 : 2018/01/16 04:33   >>

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プログラムを考えるのは、
例えば共演者の方がいて、
その人に合わせた範囲から選ぶとか、
主催者さんのリクエストがあって
それに見合ったものを選ぶとか、
あるいは全く自由とか、
いろいろな決め方があるのですが、
どんな場合もとても楽しいものです。

実をいうと、
僕はやってる音楽の範囲が不思議な感じになっているので、
現代音楽、映画音楽、タンゴ、自分の曲、クラシックの王道、
etc....、
全部をちょっとずつ、と言われるのが
一番困ってしまうようで、
過去にも、その例で気張った回は
実は心残りのある本番が多いです。
(ごめんなさい。)


でも、
あるテーマにしばられてしまったらしばられてしまったで、

「それなら、こういう曲があるので、僕練習して弾きます!!」

的な、ちょっとそれ間に合わないんじゃないの?
っていう無理なことを提案して撃沈するお調子者なところもあるので
要注意です。

最近は、
いつも自分がやったことあるもの、手がけたもの、の中で
どうやって対応していくか、
ということを、
ちょうどパズルがするっと解けた時の感じになるように
一生懸命、落とし所を探すし
その結果、思いもよらないような素敵な感じになった時は、
演奏会へのモチベーションもさらに高まります。



大阪の演奏会について、
実は意外なリクエストをされました。

自分では、かなり挑戦だったある表現があり、
そのことへの責任とか自信とかは甚だ危うかったものに
「これが素晴らしかったので、是非この感じで!!」
というお言葉をいただいてしまったからです。
そして、もう一つ、是非、武満作品を、という嬉しいリクエストも。。


と、同時に、
共演の方から、
ネガティブではない意味で、
生きることのまとめ、終結としての「死」の希望、みたいなものを
表現できないだろうか、
というご提案。


生きること、というのは
僕の中ではいろいろあるけれど、
とりわけ思うのは
楽しむことであり、縛りであり、とらわれること、です。
自分をよく見せたい虚栄心も、もっともっとください的な欲望も、
生身の身体あってこそではないかと思うのです。
死んだことないから
わからないけど。

そういう気持ちっていうのは、
民衆向け、大衆向けの
身体が勝手に動き出してしまうような音楽に
集約されています。
僕はそのことはすごく魅力的だと思います。


(ただ、コンセプチュアルな表現の中にいきなり
生々しい肉体を持った享楽的な音楽が割り込んでくるような
コラージュの手法には閉口しますが。)

そこで、自分のソロのパートを

ポンセ:前奏曲 / エストレリータ
ヴィラ=ロボス:前奏曲第3番 / ショーロ第1番
モンサルバーチェ:モーラリアのファド / レジェイラのファド
タレガ:アルハンブラの思い出

とし、
武満さんのコーナーでは、
(音楽)著作権の許可をいただいて、
武満さんが書いた文章の朗読の後ろで、
バッハのマタイ受難曲のコラールが引用されている
フォリオスの第3曲を演奏することにしました。


このコンサートは歌があり、
最初はバッハのアリアたち、
最後はファリャの民謡なので、

僕が考えた、
生きる=大衆的な身体に訴え楽しめる音楽
祈る=バッハに代表される、捧げ物としての音楽
上記の二つを行ったり来たりする、
ラテン文化圏の作曲家の音楽、
という大きなテーマに
武満さんの、
それこそ生命の厳しさとフィジカルな喜びを体現した
音楽や歌が挟まる、
というプログラムを作ることができました。



こういう時は、
もしかしたら俺ドヤ顔になってるかもね、
と言うくらい、嬉しいです。


演奏会が楽しみだ。。。。。












































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