ギタリスト 鈴木大介のブログ

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zoom RSS 丸暗記が苦手な件

<<   作成日時 : 2015/11/20 03:38   >>

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ローラン・ディアンス編の「亡き王女のためのパヴァーヌ」ですが、
その昔、2000年に作った「月の光」っていうアルバムの中で
弾いたのが最初で、その時は若さも(?)あったので
勢いで覚えられたのに、だんだん、疑問が浮かぶようになってしまいました。

その後も「キネマ楽園3」で弾いているし、
演奏会でも時々取り上げていて、
レパートリーとしては普通に弾いて来てはいるのですが、
年々、音楽が霧の向こうに霞んでゆくような気がしてなりません。

で、
前回、どっかで弾いた時に、
もう一度ピアノの譜面やらオーケストラのスコアやら見直して、
「あっ!!!」って思ったんですけど、
ディアンスさんはギターのことがほんとうによくわかりすぎていて、
その都度、その瞬間その瞬間、
もっともギターが美しく響くであろう
音選びをしているので、
音並びが、ぜんぜん理路整然としていない。


3度でてくる主題も、
まあ原曲も低音の進行と和声のヴォイシングや分散の形がその都度3回違うので
ギターでも毎回押さえるポジションやら弾く弦が違うのは仕方ないのですが、
それにしても、その規則性というか、論理的なつながりが見えにくく、
ひたすら美しい、という感じに書かれているのです。

これと好対照を成しているのが、
マリオ・カステルヌオーヴォ=テデスコによる編曲です。

こちらは、あくまでさっくりと
曲をギターの上に再構築しています。
年々、こちらの方にしてしまおうか、
と思えてくるほどロジカルに見える楽譜なのですが、
そこはギターを弾かない故か、
もっと美しく響かせたい、という欲求とのせめぎ合いになってしまいます。


観た感じがロジックな楽譜、とそうでない楽譜、
というのは、何が違うのかというと、
あるフレーズがずっと3声で書かれているかと思いきや
時々2声になっているとか、
同じものが調を変えて出てくるときに
音が減りまくっているとか。。。
これは明らかに誰かが手を加えて
原曲にあった音を抜かして弾きやすくしたんだな、
という感じのもの。


マリオ・カステルヌォーヴォ=テデスコは、
上記のように非常に整然と譜面を書くはずなのに、
「ソナタ“ボッケリーニ讃”」の第2楽章などは、
僕はぜんぜん覚えられなくて苦労したのですが、
最近、セゴビアが手を加える前の
自筆譜に基づくバージョンが発売されたとき、
あ、これなら覚えられるな、
と思ったものです。

僕にとっては、
それくらい、
手が勝手に覚えるというよりは、
楽譜がひとつのストーリーとして入ってくることが重要なので、
年々、それをありのままに受けとめなくてはならない
ディアンス編との距離が離れて来ている感じでした。
「こうやって弾くといちばん綺麗だし原曲を損なわないよ
信じてい良いんだよ」
と言われてるし、確かにその通りな編曲なのです。

だがしかし、
頭の中では
常に霧がかかってどこか一部が見えない状態。。。

今回はそのようなことで、
思いきって主題の2回目に音をかなり足してみました。
こうすることで、自分が一定の和音の進行の中にいる自覚ができるので、
とても安心、
演奏は余計に難しくなって、
訥々と弾くことになるけど、
むしろその方が味が出るかもしれません。


「亡き王女」っていうのは
ベラスケスが描いたマルガリータ王女だ、という説がありますね。
早逝の王女のような儚さ、とか、
パヴァーヌ、というスペインの優雅な踊りの語感が、
この曲の奥深い情緒につながっているのかもしれません。

そういう風に音楽を大事に考えれば、
ざっくりギターでハーモニーつけて弾くだけで
雰囲気はあっているのかもしれませんが、
緻密なディアンスの譜面を読んでいると、
フランスの人たちからさえも、
ほんとうに繊細な味覚にこだわると思われているはずの日本人が、
どんぶり勘定では申し訳が立たないなぁ〜〜
とも思えてくる、晩秋の明け方です。












































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